西大寺会陽(裸祭り)の歴史


西大寺会陽(はだか祭り)の歴史、行事、また西大寺会陽(裸祭り)にまつわる御利益について紹介しています。


 西大寺会陽(はだか祭り)の歴史



出来事
奈良時代(777年) 西大寺観音院を安隆上人が創設したとき、奈良東大寺の良弁僧正の弟子・実忠上人が修正会()を伝える
1510年(永正7年 ) 修正会によって会陽の形が始まる
1928年(昭和3年) 会陽を「はだか祭り」と称するようになる
1959年(昭和34年) 岡山県の重要無形民俗文化財に指定される
1962年(昭和37年) 旧暦1月14日から2月の第3土曜日に執行されることとなる
2009年(平成21年) 西大寺会陽500周年




会陽とは、「陽(春)に会う(陽春を迎える)」という意味で名付けられたとされています。


修正会(しゅしょうえ)とは、会陽が行われる2月の第3土曜日から逆算して14日前から14日間、数人の僧侶が集まって祈祷が行われる法会(集会)のことで(会陽は修正会の14日目、結願の当夜行われます)、宝木の飾り付け(牛玉封じ)などが行われます(昭和36年までは正月、1月1日〜14日に行われていました)。


「牛玉・西大寺・寳印(宝印)」と書かれた守護札(現在の宝木)を信徒に授けたところ、農家は作物がよく穫れ、厄年の人は厄を免れたといわれ、そのため守護札を奪い合うようになったため、1510年(永正7年 )に住職・忠阿上人(ちゅうあしょうにん)が紙のお札だと破れてしまうため、直径約4cm、長さ20cmほどの木(宝木)に替え、やむなくを宝木(しんぎ)を信徒の頭上に投げ込んだこところ、信徒たちが動きやすいように裸になって奪い合ったことが、西大寺会陽の始まりだとされています。


 西大寺会陽(はだか祭り)関連行事



西大寺会陽(裸祭り)は毎年2月の第3土曜日に行われますが、1月下旬から西大寺会陽(裸祭り)が終わった2週間後まで、西大寺会陽に関連するさまざまな行事が行われます。


日付 行事名 内容
1月下旬の月曜日 会陽事始め 宝木造りに使用される道具磨ぎ、修正会、会陽の成満を願った法会が行われます。
会陽の日より17日前の深夜 宝木取り 一対の宝木を作るための素材を芥子山中腹にある広谷山如法寺無量寿院に受取りに行きます。
宝木取りの翌日 宝木削り 宝木の原木から宝木を作る行事で、宝木削りは秘事として現在でも公開されていません。
2月第3土曜日から逆算して14日前から14日間 修正会 宝木の飾り付けである牛玉封じや灯明帳読みなどが14日間に渡って行われ、祈祷されます。
2月第3土曜日 会陽 日付の変わる深夜0時に宝木が投下されます
会陽の翌日から約2週間 会陽あと祭り 観音院境内、向州公園に屋台や露店が並び賑わいます。
- 諸礼(しょれい) 関係者が集まり宝木納めの儀式が行われます。
会陽の日から1週間目の日曜日 稚児入練供養(ちごいりねりくよう) 3〜7、8才の少年、少女が一定の稚児衣装を着けて行列に参加する行事。
会陽の日から2週間目の日曜日 柴燈護摩(さいとうごま) 大地に炉を作り、薪を組みあげて柴をたき、交通安全、病気平癒、商売繁昌、厄災消除等を祈念する行事。


 西大寺会陽(はだか祭り)にまつわる御利益



■安産


西大寺会陽(裸祭り)に参加した男性の「まわし」を、安産の腹帯として使用すれば元気な子供を産むとされています。


■豊作


西大寺会陽(裸祭り)の翌日、西大寺観音院本堂の大床の上に上がった土を田畑にまくと豊作になるとされています。


■病気平癒


西大寺会陽(裸祭り)にに参加した男は風邪を引かないとされています。


■除厄招福


垢離取場で身を浄め、西大寺会陽(裸祭り)にに参加した男は厄を除き福を招くとされています。